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ワシントン (USS Washington, BB-56) は、アメリカ海軍の戦艦。ノースカロライナ級戦艦の2番艦。艦名はアメリカ合衆国42番目の州に因む。その名を持つ艦としては9隻目〔ミュージカント『戦艦ワシントン』18頁〕。8代目は未完成に終わったコロラド級戦艦。 愛称はマイティ W(Mighty W)。ワシントンは太平洋戦争を通じ日本海軍の攻撃で乗組員を失わなかった武運の強い艦である。一方、イギリス派遣時には司令官が転落死し、1943年1月31日には戦艦インディアナの右舷三番砲塔付近に衝突し、衝突事故を起こして本国修理に1ヶ月を要した。この際は数人の水兵が死亡している。 == 艦歴 == ワシントンは1938年6月14日にフィラデルフィア海軍工廠で起工され、1940年6月1日にヴァージニア・マーシャル(ジョン・マーシャルの直系の子孫)によって命名、進水した〔ミュージカント『戦艦ワシントン』22頁〕。1941年5月15日にはフィラデルフィア海軍工廠内において初代艦長ハワード・H・J・ベンソン大佐の指揮下就役する。日本の大和型戦艦と同じく、16インチ砲、自動砲撃管制装置、12万馬力28ノット発揮可能なタービンを搭載した新世代の戦艦だったが、パン焼き場の器材配置が悪く食事担当兵にとって働きにくいという些細な欠点もあった〔ミュージカント『戦艦ワシントン』27頁、ジョン・バーンズ2等兵曹(パン焼き班)〕。だが、それ以上に深刻な欠陥が明らかとなった。全力公試で22ノットを出した瞬間、艦内のプロペラ軸に通じるスケッグが震動し、艦全体が大きく震動するトラブルに見舞われたのである〔ミュージカント『戦艦ワシントン』31-33頁〕。新しいスクリューに換装し、7月12日には28.5ノットを発揮したが、依然震動に悩まされた〔ミュージカント『戦艦ワシントン』34頁〕。その後ドッグ入りし、スクリューを調整して震動問題は一応の解決を見たが、ワシントンが28.5ノットを発揮することは二度となかった〔。 太平洋戦争が始まる1941年12月までワシントンはアメリカ東海岸沿いやメキシコ湾で整備と訓練を行った。ワシントンと空母ホーネットは大西洋艦隊のジョン・W・ウィルコックス少将の指揮下に入り、ワシントンは第6戦艦部隊を編成し、旗艦となった。 1942年3月26日、ウィルコックス少将はイギリスに向かうため空母ワスプ、重巡洋艦ウィチタ、タスカルーサなどから構成される第39任務部隊を率いてポートランド(メイン州)を発った。しかし、ポートランドを発った翌日に人が荒れ狂う大西洋に落ちたと警報が鳴り、間もなくウィルコックス少将が行方不明であることが判明した〔ミュージカント『戦艦ワシントン』52-53頁〕。タスカルーサは救命ブイを投下し、天候が優れないにも関わらず空母ワスプから捜索のため航空機SBDドーントレスが発進して駆逐艦も捜索に加わった。駆逐艦ウィルソンの見張りが海面に目を落とすと、少し離れた距離の水中に少将を見つけたが、拾い上げることができなかった。旗艦のワシントンでは少将が海に落ちた原因について皆目わからず、一部の論者は心臓発作を起こしたか自殺したと考えた。 同27日12時28分にウィルコックス少将の捜索が中止され、次席指揮官であるロバート・C・ギフェン少将がウィチタを旗艦に任務部隊の指揮を引き継いだ。ドーントレス1機が着艦に失敗し、搭乗員は死亡した〔ミュージカント『戦艦ワシントン』55頁〕。4月4日に任務部隊はオークニー諸島(スコットランド)のスカパ・フロー泊地に到着し、ジョン・トーヴィー大将率いるイギリス海軍、本国艦隊の指揮下に入った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワシントン (BB-56)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 USS Washington (BB-56) 」があります。 スポンサード リンク
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